久能山東照宮

HOME > 境内案内

境内案内

境内案内 表参道石段 一ノ門 門衛所 楼門 神厩 鼓楼 五重塔跡 神楽殿 神庫 日枝神社 社殿 拝殿 石ノ間 本殿 廟所参道 神廟

国宝指定 久能山東照宮社殿 特設ページ

表参道石段

表参道石段

山下にある石鳥居から数えて1159段の段数を誇り、1159の数字に文字が当てられ「いちいちご苦労さん」と呼ばれています。静岡鉄道日本平ロープウェイが開通(昭和32年)するまでは、この石段のみが東照宮への参拝路でした。

一ノ門

一ノ門

山下より909段上がった所にある門です。ここからの眺望は正に絶景です。

門衛所

江戸時代には久能山東照宮の参拝には制限がかけられ、当時の警察官である与力がこの門衛所に詰めて警衛の任に就いていました。

楼門(ろうもん)

楼門

この門をくぐって東照宮詣でが始まります。二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇陛下御自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく)が掲げてあり、勅額御門とも言われています。

神厩(しんきゅう)

神厩神厩

家康公の愛馬を飼育するために建てられた厩舎です。その昔、愛馬は夜になると家康公神廟の脇で休み、朝になると厩舎で餌を食べていたそうです。ある朝、馬が厩舎に戻らなかったため神廟を確認したところ、静かに眠ったままの姿で見つかりました。その話を聞きつけた名工、左甚五郎が愛馬そっくりに彫刻し、この厩舎に納めたと伝えられています。馬の眼球には当時大変貴重であったギヤマン(ガラス)が使用されています。

鼓楼 (ころう)

鼓楼

創建以来、鐘楼(しょうろう、鐘を突く建物)として扱われてきましたが、明治時代に行われた神仏分離の際、鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、現在の「鼓楼」となりました。太鼓は明治6年に旧幕臣であった小島勝直氏が江戸城にあったものを奉納したと伝えられています。

五重塔跡

五重塔跡

三代将軍家光公の命により建立された五重塔が明治時代まで設置されていました。江戸時代に作成された地図などには久能山のシンボルとして描かれることが多く、30mを超える技術的・芸術的にも優れた塔と伝わっていますが、神仏分離令を受けて明治6年に取払われ、現在は礎石が残されています。

神楽殿

神楽殿神楽殿

神楽殿という名称が付いていますがこの建物では神楽は行われず、武家奉納の絵馬を掲げたと伝わっています。

神庫

神庫

奈良、正倉院と同じ校倉造りの建物で、東照宮への奉納品をここに納めたと伝わっています。

日枝神社

日枝神社

御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。元は薬師如来像を安置する薬師堂として扱われてきましたが、神仏分離令を受けて明治3年12月に仏像を大正寺に遷し、山中にあった山王社の御神体を納めたと伝わっています。

社殿(本殿・石ノ間・拝殿)

社殿(本殿・石ノ間・拝殿)

徳川家康公をお祭りする神社です。家康公の没後、二代将軍秀忠公はただちに久能山に徳川家康公を祀る神社を造営することを命じ、大工棟梁の中井正清によって1年7ヶ月という驚くべき短期間のうちに社殿が建てられました。

社殿の様式は本殿・拝殿を石の間で接続した「権現造」(ゴンゲンヅクリ)であり、当時最高の建築技術・芸術が結集されています。神社建築における権現造の様式は久能山東照宮の造営によって確立され、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型とされました。

国宝指定 久能山東照宮社殿 特設ページ

廟所(びょうしょ)参道

廟所参道

廟門から御神廟までの間をつなぐ参道です。左右には家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられており、厳かな雰囲気が漂っています。

神廟(しんびょう)

神廟神廟

徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟です。当初、この地には小さな祠(ほこら)が建てられていましたが、三代将軍徳川家光公によって高さ5.5m、まわり8mの石塔が建てられ、現在に至っています。家康公の遺命に従い、西向きに建てられています。

久能山東照宮へのお問い合わせ