久能山東照宮

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国宝 社殿紹介

宮司久能山東照宮の公式サイトにようこそ。
宮司の落合偉洲(おちあいひでくに)です。

久能山東照宮は徳川家康公を東照大神として祀る神社です。東照宮は久能山、日光の他にも全国各地に数多く鎮座していますが、久能山東照宮はそれらの東照宮の中でも最初に創建された神社です。徳川家康公を東照大神として祀る東照宮の歴史は、ここ静岡の地から始まりました。

戦国の乱世の時代を駆け抜けた徳川家康公は、数多くの武将の中でも戦国時代に終止符を打ち、天下泰平の世を目指して、理想の国造りにその生涯を捧げた偉大なる人物です。家康公の国政の基本理念は、国民一人ひとりの人の命を大切にして、国内的には教育の充実を図り、対外的には平和外交を発展させるというものでした。

家康公は亡くなる直前、家臣たちに「遺骸は久能山に埋葬すること」を遺命として託されました。ご遺命の通りに遺骸はただちに久能山に遷され、二代将軍徳川秀忠公は久能山に徳川家康公を祀る神社を造営することを命じました。久能山東照宮の壮麗なる社殿は江戸時代を代表する大工頭、中井大和守正清の手によって造営され、約400年の時を越えて平成22年12月24日、本殿・石の間・拝殿が国宝に指定されました。

徳川家康公は、「神上がり」の直前に久能山に埋葬せよ、と家臣に託された。

その理由としては、

  1. 創建当初(400年前)の姿形がほぼそのまま残っていること
  2. 中井大和守正清が手がけた建造物は数多く国宝に指定されている中、久能山東照宮は中井大和守正清の最後の作品であること
  3. 「石の間」を持つ社殿様式が、久能山東照宮の造営を以て「権現造」として確立されたこと
が挙げられます。

[石の間について]

神の世界と人の世界をつなぐ空間、石の間。4月17日の「御例祭」では、徳川御宗家による拝礼もここで行われる。

本殿と拝殿をつなぐ一段低い部屋で、石の間と呼ばれてはいますが、実際に床が石敷になっている訳ではありません。二つの社殿を結ぶ石の廊下が発達した形式ゆえにこの名が付きました。この石の間を持つ社殿の構造・様式を権現造【ごんげんづくり】といいます。社寺建築としては新しい様式で、東照宮が出来てから権現造と呼ばれるようになりました。それは江戸時代、家康公が権現様と尊称されたからです。石の間は、神の世界(本殿)と人間の世界(拝殿)をつなぐ重要な空間であり、この部屋を中心として諸祭典が行われます。

拝殿「蟇股」部に彫刻された「司馬温公の甕割り」の図には生命の尊さが込められているという。

社殿の装飾となっている様々の極彩色の彫刻や絵の文化的価値は言うまでもありませんが、それらには家康公から現代に生きる私たちへの大事な伝言が秘められてます。ぜひ久能山東照宮に足を運んで、徳川家康公からあなたへの伝言を受け取って欲しいと思います。

また博物館では、家康公の学問や平和外交の足跡を語る貴重な文物が、あなたとの面会を待っています。

宮司 落合偉洲

宮司 落合偉洲(おちあいひでくに) プロフィール

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