四百年続く、平和への祈り。久能山東照宮

家康公の時計

四百年を超えた奇跡 海を越えて交わされた平和の志

  • 写真:重要文化財「洋時計」重要文化財 洋時計

    重要文化財『洋時計』

    久能山東照宮には、慶長16年(1611)スペイン国王フェリペ3世から海難救助のお礼として徳川家康公に贈られた洋時計が神宝として残されています。

    元和2年(1616)に家康公が薨去の後、久能山東照宮に納められ、大切に保管されてきました。後に家康公の愛用した手沢品のひとつとして、国の重要文化財に指定されています。

  • 写真:重要文化財『洋時計』内部・外装・革箱重要文化財 洋時計 内部・外装・革箱

    ゼンマイ式時打付時計として
    日本現存最古の作

    本体は金銅製の箱形でドーム状の屋根をつけ、左右の側面は扉造りとなっています。扉と背面にはアーチ門より遠望する城砦風景が線彫りされ、ドーム状の上部の表面には青海波透かし彫りの金具を重ねています。正面の円形文字盤は真鍮金メッキに銀製の目盛環が一体化して付けられています。

    ゼンマイ式の時打付時計としては日本現存最古の品です。刻銘に1581年スペインのマドリッドでハンス・デ・エバロが製作したとあります。

    この時計が家康公のもとに置かれるようになった経緯は、今からおよそ400年前に起きたある出来事がきっかけとなりました。

  • 写真:「サンフランシスコ号乗員遭難救助」松本勝哉 画 昭和58年 御宿町歴史民俗資料館 蔵「サンフランシスコ号乗員遭難救助」松本勝哉 画 昭和58年 御宿町歴史民俗資料館 蔵

    スペイン船の漂着

    慶長14年(1609)9月30日、フィリピン総督の任を終えて、メキシコに向かい航海していたロドリゴ・デ・ビベロの一行が乗っていたガレオン船サン・フランシスコ号は、暴風雨に遭い、千葉県の御宿に漂着しました。乗船員373名、56人溺死、317人を村民が救助しました。地元の海女さん達が、海に飛び込み溺れて仮死状態になっている船員たちを、体温で温めて蘇生させたという感動的な話が伝わっています。また大多喜城主本多忠朝の明断により、遭難者を大多喜城内や岩井田大宮社に集めて手厚い保護を村民とともに施しています。

    ビベロ一行の代表駿府へ

    ロドリゴ・デ・ビベロはその後、江戸に出て、二代将軍秀忠公に会い、さらに駿府まで来て家康公に面会しています。

    家康公はビベロ一行の日本での滞在に便宜をはかりました。 家康公は、約10年前に大分に漂着して、家康公の外交顧問を務めていた三浦按針(ウイリアム・アダムス)に命じて西洋型帆船二隻を伊豆半島にある伊東で造らせていました。
    その大きい方の一隻120トンを用意して、その船をサン・ブエナベンツーラ号(幸福を運ぶ聖なる船の意)と命名、田中勝助等21名の日本人にその船でビベロ一行をメキシコまで送り届けることを命じました。
    慶長5年(1610)6月13日、ビベロ一行を乗せた船は、浦賀から出帆、10月23日、メキシコへ帰着しています。
    ビベロ達は家康公の温情に感服し旅立っていきました。

  • 写真:セバスティアン・ビスカイノ 提供:メキシコ大使館セバスティアン・ビスカイノ 提供:メキシコ大使館

    スペイン国王からのお礼

    慶長16年(1611)5月、スペイン国王とメキシコを統治するスペイン副王ルイス・デ・ベラスコは、ビベロ一行の海難救助御礼と田中勝助等返還のために司令官セバスティアン・ビスカイノを日本に派遣しました。
    一行は、家康公および秀忠公に謁見し、駿府の家康公にお土産を持ってきました。その中に金銅製の洋時計がありました。家康公が薨去の後、この時計は、久能山東照宮に納められて神庫で300年に及ぶ永い眠りにつくことになります。そしてこの時計は、重要文化財に指定されて、久能山東照宮博物館に常時展示されています。

    世界に誇る洋時計

    この時計は、スペイン国王に仕えた時計師ハンス・デ・エバロによって1581年に製作されたものでした。家康公は気に入って部屋に飾りましたが、当時のスペインと日本は暦法が異なり、時計としては使用されなかったようです。家康公が亡くなった後も神宝として保存され、動かされることはなく、部品も交換されることがないまま400年以上の時を経て現代に至りました。

  • 写真:大英博物館デービット・トンプソン氏による調査の様子大英博物館デービット・トンプソン氏による調査の様子

    大英博物館による調査

    平成24年、イギリス大英博物館時計部門の責任者であるデービット・トンプソン氏が来日し、時計の内部を調査しました。

    丹念に分解、調査が為された結果、「この時計には製造された16世紀からのオリジナル部品が99%残っており、革製のカバーまで残っている。また技巧としても当時として最高技術の結晶であり、ハンス・デ・エバロが制作した時計の中でも極めて傑作。世界に類例がありません。」というものでした。

    家康公の平和外交の象徴

    このように、この時計はスペイン船救助のお礼に、スペイン国王から家康公に贈られた品として、久能山に大切に収蔵されて今日に至っています。
    この時計の価値は、難破船員を助けた御宿の海女さん達住民の人間愛と、船を用意してメキシコに送り届けた家康公の平和外交の証という点にあります。
    久能山東照宮ご参拝の折には博物館にもご来館いただきまして、この『洋時計』をご覧いただきますようご案内申し上げます。

『家康公の時計 四百年を越えた奇跡』発刊に寄せて

写真:家康公の時計 四百年を越える奇跡写真:久能山東照宮宮司、落合偉洲久能山東照宮、落合偉洲宮司(当時。現在は名誉宮司)は平成25年7月、「家康公の洋時計」の歴史的な背景から、大英博物館の調査までを「家康公の時計 四百年を越えた奇跡」(平凡社、定価1,600円+消費税)としてまとめました。
「この世界的なお宝を日本の国宝にしたい、というのが私の願いです。ぜひ、この本を手に取っていただき、江戸時代という平和の時代を築かれた、家康公の偉業を象徴するものとして、この時計が久能山東照宮にあることを知っていただきたい、と考えております。

久能山東照宮宮司、落合偉洲

ページの先頭へ