四百年続く、平和への祈り。久能山東照宮

久能山の歴史

久能山の歴史

史跡久能山

太古久能山は日本平と共に平野でありましたが、その後隆起によって出来たもので、昔は日本平と続いていましたが、長い年月の間に浸食作用等のため堅い部分のみ残り現在のように孤立した山となりました。
高さ216mの前面は眼下に駿河湾を見下ろし、東は近くに伊豆半島を西は遥かに御前崎を一望できる雄大な景色が広がっています。
遥か遠い昔、この山は観音菩薩の霊場とされ、観音信仰の聖地でした。

補陀落山久能寺のころ

久能山の歴史は『久能寺縁起』によると、推古天皇の御代(7世紀頃)秦氏の久能忠仁が初めて山を開き一寺を建て、観音菩薩の像を安置し補陀落山久能寺と称したことに始まります。久能山の名称もここから起こりました。
縁起によると久能寺は平安朝の仏教隆昌と共に多くの僧坊が建てられ、僧行基、伝教大師等を始め多くの名僧知識が相次いで来往し、平安末期から鎌倉初期にかけては、360坊、1500人の衆徒をもつ大寺院となったといいます。また、国宝の『久能寺経』なども伝来しており、都との縁も深かったことがうかがわれます。
さらに、源頼朝は伊豆国内から所領を寄進、源義経も薄墨と呼ばれる笛を奉納したなどとも伝えられています。
また、鎌倉時代の紀行文である『海道記』には山上山下にわたって300余の禅坊が建てられてあったことが記されており、鎌倉時代前後にかけての久能寺はまさに東海道屈指の寺院として栄えていました。
ところが、鎌倉時代中期の嘉禄年間(1225年~1227年)山麓の失火によって類焼し昔の面影はなくなりました。

久能城のころ

永禄11年(1568年)には、武田信玄公は当山が要害であることを聞き、久能寺を近くの北矢部(静岡市清水区、今の鉄舟寺)に移し山上に城砦を設け久能城と称しました。天正10年(1582年)武田氏が亡びて駿河国一帯が徳川氏の領有するところとなったので久能山も自然と徳川氏のものとなりました。慶長11年榊原清政が城主となり、次いで其の子照久がそのあとを継ぎました。徳川家康公は久能山が要害の地である事に早くから着目し、薨去の際、照久に「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と言われたと伝えられています。

写真:久能寺縁起「久能寺縁起」/ 所蔵:鉄舟寺蔵

写真:久能山総絵図「久能山総絵図」(部分)/ 所蔵:久能山東照宮博物館蔵

東照宮の創建

かくして元和2年(1616年)4月17日徳川家康公の薨後、御遺命により御遺骸を久能山に埋葬、久能城を廃止し東照宮(はじめは東照社と称しました)が創建されました。特に50年毎の神忌に当たっては式年大祭を斎行し平和への祈りを捧げてまいりました。そして、平成27年(2015年)には御鎮座四百年大祭を斎行し現在に至ります。 このように、久能寺建立よりおよそ1,400年余りの悠久の歴史を有する久能山は、古くから多くの人々の信仰を集め様々な歴史を刻んできたかけがえのない聖地といえるでしょう。

写真:三百年祭の様子(徳川家御一門)三百年祭の様子(徳川家御一門)

年表

飛鳥時代

推古天皇頃 6世紀末~7世紀初 補陀落山久能寺が建てられる

奈良時代

養老7年 723年 行基が「補陀落山久能寺」を再興する

平安時代

康治元年 1142年 国宝『久能寺経』が完成する

鎌倉時代

建永元年 1206年 「茶祖」円爾(聖一国師)が久能寺で修行する
貞応2年 1223年 『海道記』に久能寺隆盛の記述あり
嘉禄元年~3年 1225年~1227年 大火災で久能寺の建物が焼失する

南北朝時代

康永元年 1342年

『久能寺縁起』がつくられる「久能寺縁起」 康永元年(1342) 鉄舟寺蔵

室町時代

天文11年 1542年 12月26日徳川家康公誕生
永禄8年 1565年 今川氏真が久能寺の観音堂を再興する
永禄11年 1568年 武田信玄が今川氏を攻める
永禄11年 1568年 武田信玄が久能山城を築城し、久能寺は清水区村松に移転する
永禄12年 1569年 戦国大名今川氏が滅亡する

安土桃山時代

天正14年 1586年 家康公が駿府を拠点とする
天正18年 1590年 家康公が江戸を拠点とする

江戸時代

慶長8年 1603年 2月12日家康公が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く
慶長12年 1607年 家康公が駿府城に隠居する
元和2年 1616年 4月17日家康公が駿府城にて薨去、久能山に埋葬する
元和3年 1617年 2月21日家康公に「東照大権現」の神号を贈られ、3月9日東照社に正一位を賜る

12月久能山に社殿竣工し正遷宮が行われ「東照社」として奉祀「太政官符 元和三年十二月七日付」 久能山東照宮博物館蔵

2代将軍秀忠公、真恒の太刀を奉納
寛永13年 1636年 3代将軍家光公奉納の五重塔が完成
正保2年 1645年 11月3日東照社に宮号宣下、「東照宮」と称する
正徳5年 1715年 家康公鎮座百年祭
享保2年 1717年 8代将軍吉宗公、国行の太刀を奉納
明和2年 1765年 遷宮式。家康公鎮座百五十年祭
文化13年 1816年 家康公鎮座二百年祭
文久3年 1863年 14代将軍家茂公参詣。国秀の太刀を奉納
慶応1年 1865年 家康公鎮座二百五十年祭
慶応3年 1867年 15代将軍慶喜公、正恒の太刀を奉納

明治時代

明治元年 1868年 神仏分離令によって久能山内の寺院が廃寺となる
明治15年 1882年 徳川家達、江戸城に保存されていた歴代将軍の武具類を久能山東照宮に奉納
明治16年 1883年 久能寺が旧幕臣の山岡鉄舟により再興、臨済宗補陀落山鉄舟禅寺となる
明治33年 1900年 『久能寺経』が国宝に指定される

大正時代

大正4年 1915年

家康公鎮座三百年祭大正4年(1915)三百年祭の様子(徳川家御一門)

昭和時代

昭和34年 1959年 久能山全域が国の史跡に指定される
昭和40年 1965年

家康公鎮座三百五十年祭。博物館を設置する昭和40年(1965)三百五十年祭の様子(参進する司祭徳川宗家)

昭和54年 1979年 スペインから家康公に贈られた「洋時計」を含む「徳川家康関係資料」が、重要文化財となる

平成

平成22年 2010年 久能山東照宮御社殿(本殿・石の間・拝殿)が国宝に指定される
平成27年 2015年

御鎮座四百年大祭斎行平成27年(2015)御鎮座四百年大祭の様子(参進する司祭徳川宗家)

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